岡崎市周辺で野球がやりたくなるブログ

34歳・愛知県岡崎市の草野球人。野球が上手くなりたい。野球やる人増えてほしい。自分の経験・体験談、楽しさ、つらさを伝えるブログ。将来の夢は家の近くにバッティングセンターを作りたい

【めざせ甲子園】高校野球という憧れを抱き入部、レベルの高さに挫折。

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野球が上手くなりたい。

誰もがそう思う。

 

僕は、小中高と野球一筋でやってきた。

小学校の将来の夢はもちろんプロ野球選手」だった。

 

あこがれの高校野球

だが、すぐに挫折を味わう。

今回は、高校野球人生「最大の挫折」について話そうかと思います。

めざせ甲子園?高校生になったら、全員が甲子園を目指すもの。

そう思っていた。

高校野球そのものを知らなかった僕が入ったのは、普通の高校。

甲子園という単語すらでてこない所だった。

 

ただ、中学野球時代は「井の中の蛙大海を知らず」

僕、野球まあまあ上手いんじゃないか?

と思っていた時期があった。

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 だが、

高校野球レベルに全くついていけなかった

体力的に無理。

毎朝、朝練は7時から。

1年生は放課後の練習開始までに、グランド整備を完了させないといけない。

そのため、毎日6:30までには来て整備を始めている。

家から学校までは自転車で30分弱かかるため、6時には家を出る。

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このグラウンド整備が厄介なのだ。

ブラシではけば終わりではない。

T字の金属性のトンボ(地面に触れる方にワニの歯のような突起が付属)

を用いて地面に食い込ませ掘り起こすのだ。

2人1組、雑巾がけのように整備する。農作業か!!

それも内野全体。

入部したのは、たった9人。

この人数でどうやれと?

 

当然朝の30分では終わらないので、昼休み、練習開始直前までやる。

もちろん、グラウンド整備だけではない。

練習道具一式の整備管理、バッティング時に使うネット等のセット、移動。

練習試合の道具運びなどすべて1年の役目だ。

監督の車にすら入れさせてくれない。

試合前には、1年全員で道具ジャンケンだ。

 

話を戻そう。

練習前には、すでに疲労MAXだ。

 

やっと、ここからが練習スタート

まあ長い。

暗くなり、ボールが見えなくなってやっと練習は終了

 

さらに、先輩の自主練が終わるまでは1年は帰れない

道具を倉庫にしまわないといけないためだ。

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こうして、長いと全部終って家に着くのは夜9時近く

勉学にも力を入れている高校なので、毎日の宿題も多く、授業範囲も広い。

家に帰って、飯を食い、風呂に入って、寝落ちをしながら宿題を完成。

12時前には就寝しないと、睡眠時間が確保できない。

1年の間は、毎日寝不足。

 

土日はもちろん1日練習または、練習試合。

夏休みなど長期休みは、ほぼなし。

夏は合宿。

デカイごみ箱に大量の水と水出しパックを入れて、全員ひしゃくで水分補給。

学校の授業は、貴重な睡眠時間。

もちろん勉強ができるはずもなく、成績は下から数えれば優等生だ。

精神的に無理

1年は奴隷みたいなものだ。

グラウンド整備から道具管理、何かあると大体1年が悪いことになる。

僕らの教育係は2年生の先輩だ。

入部当初、何度集められて理不尽な説教を食らったことか。

 

そして入部早々、この時が訪れる。

いつもの理不尽な説教の後

「お前ら、坊主にして来い」f:id:mmeito:20210110234016j:plain

入部してから何も言われなかったので、いいのかなと思っていた。

やっぱりやらなきゃダメなのか。

思春期真っ只中、髪の毛で遊びたい!かっこよく思われたい!

当然だろう。

こんなことをやっているから、野球人口が減るんだ。

そう確信した。

 

ようやく覚悟を決めた、初めてはいつも利用している美容院。

長めの5分刈りと呼ばれる9mmでやってもらった。

髪が・・・ない。小さいとき勝手に丸刈りにされていた以来だ。

ちなみに高校野球をやる子が眉毛が無くなるのは、いじる場所がないからだ。

当然いじる所が無くなった僕も、どんどん眉毛が無くなっていった。 

技術的に無理

やはり、一番の問題はこれだ。

まず、軟式球から硬式球に慣れない。

デカいし、堅いし、大きいし。

同級生は、バントを失敗し指に当たり骨折した。 

僕は身長160cmと少し、手もそこまで大きくない。

ボールが握りきれず、すっぽ抜ける感じがある。

硬式バットは900g以上あり、重くて振ることが難しい。

 

それに全員、体格がデカい。

バッティング練習では、ときどき校舎の窓ガラスが割れるほど飛ぶ。

マンガでよくあるやつだ。

 

中学では、バッティングも守備もうまい方だった。

入部して少しずつ練習に参加させてもらえた。

何もかも違う。全くついていけない。

 

守備はサードをやったが、ファーストまでボールがノーバンで届かないのだ。

バッティングもそう、外野に飛ばない、芯に当たらない、手が折れるほど痛い。

 

・・・そのまま、あっという間に3年生夏になった

体力、精神力は鋼のように強くなった。

学校のテストも、下から数えてずっと優等生をキープできている。

 

ただ、技術だけは1年から全く変わっていない気がした。

練習にも真面目に取り組んだし、自主練も欠かさずやった。

なのに、進歩したという実感が全くないのだ。

希望していたサードは、推薦で入部した後輩に簡単に奪われた。

僕は、9番ライトのレギュラーと補欠を行ったり来たり。

  

守備は内野ほど難しくなかったので問題なかったが、全く打てない。

打てる自信がない。

3年最後の夏にはさらに不調となり、最終進化「セーフティバント職人」となる(笑) 

甲子園以前の問題だった。そして最後の夏が終わる。

 「試合終了!」

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チームメイトみんなが悔し涙を見せている。

 

もちろん、僕も泣いた。

「やっと野球から解放される」

という嬉し涙だ

 

思春期の青春をすべて高校野球につぎ込んだ。

クラスメイトと過ごした時間は、あまり記憶に残っていないくらい。

何度思い返しても野球で良い思い出がでてこない。

 

今思い返してみる。

よく3年間辞めずに最後までやり切ったな、と。 

地獄の後に、また地獄 

高校3年生。

早々と他の部活が最後の大会を終え、受験モードに入っている。

僕たちはまだまだ辞めない。7月に入りようやく最後の夏の予選が始まる。

8月になり最後の夏が終わるとやっと野球部引退。

 

その頃、ほとんどの生徒は完全受験モード。

僕は燃え尽き症候群・・・・・・になる前に!

高校野球までしか考えてなかった自分に、急に将来の焦りが生じる(遅い!)

 

ここから、受験という第2の地獄の始まりでした・・・・

野球の挫折から学んだ事

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野球を通じて「最強の忍耐力、精神力」を身に着けることができます。

さらに僕は「危機感」というのも習得しました。

大学に運よく入れましたが、そこからは危機感をもって人生を歩んでいます。

社会に出ると「え?こんな事でみんな心折れるの?」

ってぐらい、簡単に自分以外が沈没して行きます。

失敗を恐れず努力できれば、いわゆる「人生ヌルゲー」だと思います。

 

重い文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。